518 プーシキン

 

 ある日キリル君が私のところへ寄ってきて言った。
「ぼくはね、“嵐がもやで天空を覆う、雪煙まきあげて”というの暗記しているんだよ」
「そりゃあ良い」ぼくは言った。「で、君はこの詩が好きかい?」
「好きだよ」とキリル君は言った。
「誰がこれを書いたのか知ってる?」ぼくはキリル君にたずねた。
「知ってるよ」
「誰?」
「プーシキンだろ」





「それではこれが何のことを書いているのかも、わかるかい?」ぼくはたずねた。
「わかるさ」キリル君は言う。「家とおばあさんのことが書いてあるんだろう。」
「じゃあこのおばあさんが誰だか知ってるかい?」ぼくはたずねた。
「知ってらあ」キリル君は言う。「カーチャお祖母さんさ。」
「違うな。これはカーチャお祖母さんじゃない。このおばあさんはアリーナ・ラディオーノヴァと言ってね。プーシキンの乳母だよ。」
「なんでプーシキンに乳母がいるのさ?」キリル君が聞いた。
「プーシキンが小さかった頃、彼には乳母がいたのさ。そして小さなプーシキンが眠るときに、乳母は彼の小さなベッドの傍に座って、お話をしてくれたり、長いロシアの歌を歌ってくれたりしたんだよ。小さなプーシキンはそのお話や歌を聞いて、もっともっとお話したり歌ったりしてよ、って乳母にお願いしたものさ。だけど乳母は『もう遅いですよ。寝る時間です』なんて言うんだ。それで小さなプーシキンは眠りに落ちたのさ。」

プーシキンの幼年時代


「プーシキンて、どんな人?」キリル君がたずねた。
「プーシキンの詩をそらで覚えているくせに、彼がどんな人だか知らないのかい!」ぼくは言った。「プーシキンていうのは、偉大な詩人だよ。詩人てどんなものだか知ってる?」
「知ってらい」とキリル君は言った。
「じゃあ言ってごらん、詩人とは何だろう?」ぼくはキリル君に聞いてみた。
「詩人ていうのは、詩を書く人でしょ。」
「その通り。詩人は詩を書く。そしてプーシキンは偉大な詩人だった。彼は見事な詩を書いたんだ。プーシキンが書いたものはみんな見事なんだよ。」
「プーシキンは小さかったって言ったくせに。」とキリル君は言った。
「違うよ」とぼく。「そういう風にとられると困るなあ。最初プーシキンはほかのみんなと同じで小さかったけど、それから成長して大きくなったんだよ。」





「彼は小さいときから、詩を書いていたの?」キリル君がたずねた。
「うん、書いてたよ」とぼくは言った。「だけど最初彼はフランス語の詩を書くところから始めたんだ。」
「どうして最初フランス語で書いてたの?」キリル君は僕にたずねた。
「それはだねえ」ぼくはキリル君に言った。「プーシキンが生きていた時代には、金持ちの家はフランス語で話すのがきまりだったのさ。それでプーシキンの両親も彼のためにフランス語の教師を雇った。小さなプーシキンはロシア語と同じくらいフランス語をうまく話せたし、フランス語の本をたくさん読んで、自分でもフランス語の詩を書き始めたって訳なんだ。それでほら、乳母のお話や歌を聞いているうちに、プーシキンはロシア語が好きになって、ロシア語の詩を書き始めたんだよ。」




 その時、壁にかかっている時計が、二時を打った。

「おや」とぼくはキリル君に言った。「君はお散歩に行く時間だね。」
「ああ、いやだよ」キリル君は言った。「散歩なんてしたくないや。もっとプーシキンのお話をしてよ。」
「いいよ。」とぼくは言った。「プーシキンがどうやって偉大な詩人になったか話してあげるよ。」
 キリル君はベンチに足を投げ出して、話を聞く準備をした。
「そんな感じでね」とぼくは始めた。「プーシキンは大きくなると、リツェイにあずけられた。リツェイて何か知ってるかい?」
「知ってるよ」とキリル君は言った。「こぉんな汽船だろ。」
「違う、違う!」ぼくは言った。「汽船て何だい!リツェイというのは、そういう名前の学校で、プーシキンが勉強したところだよ。当時はそこが一番良い学校だったのさ。そこで勉強する男の子たちは、その同じリツェイに住み込まなくちゃいけなかった。教えてくれるのは一番良い先生たちだったし、有名な人たちがリツェイを訪れたものさ。



 (ペテルブルグ郊外のプーシキノには、現在でもリツェイ(学習院)がある。)



 リツェイでは、プーシキンと一緒に、30人の男の子が勉強してた。そのなかにはやっぱり若き詩人がたくさんいて、やっぱり詩を書いていたんだよ。だけどプーシキンの詩が一番良かった。プーシキンはとても沢山の詩を書いてね、時々はほとんど四六時中書いている日があったほどさ。教室で授業中にも、公園で散歩しているときにも、朝ベッドの中で目を覚ました時にさえ、彼は鉛筆と紙をつかんで詩を書きはじめるんだ。時々、彼にも、うまく詩が書けない時はあった。そんな時彼は悔しがって鉛筆に噛みつき、言葉を線で消して、あらためてまたつけ加え、詩をなおし、何度か書き直したりした。だけど詩の出来上がりはいつでも、いかにも軽々と自由なものだから、まるでプーシキンが何の苦労もなく書き上げたみたいに見えるのさ。
 プーシキンのリツェイの友達は、彼の詩を読んで暗記した。彼らには、プーシキンが素晴らしい詩人になることがわかっていたんだねえ。そしてプーシキンの詩は、どんどん良くなっていったのさ。
 そんなある日リツェイの試験にデルジャーヴィンという老人がやって来たんだけど・・・・。」
「なんでやって来たの?」キリル君が僕に聞いた。
「ああ、そうか」僕は言った。「そういやきみは、デルジャーヴィンが誰だか、知らないかもしれないね。デルジャーヴィンもやはり偉大な詩人で、プーシキンが現れるまでは、デルジャーヴィンが一番良い詩人、詩人の王様だと思われていたんだ。
 老天才詩人デルジャーヴィン


 デルジャーヴィンはもうすごいお年寄りだった。彼はリツェイにやってきて、ベンチに座り込むと、リツェイの監督官たちをとろとろと眠そうな目で眺めるんだ。
 でもプーシキンが歩み出て、よく響く声で自分の詩を読み出すと、デルジャーヴィンはすぐにぴしゃっとなった。プーシキンはデルジャーヴィンから二歩の距離に立って、自分の詩を大きな声で力強く読んでいた。彼の声は鳴り響いていたね。




 デルジャーヴィンは聞いていた。彼の眼には涙が見えた。
 プーシキンが終えたとき、デルジャーヴィンはベンチから立ち上がって、素晴らしい新詩人を抱きしめキスしようと、プーシキンのほうへ身を投げ出した。でもプーシキンは、どうしたものか自分でもわからなくて、くるりと後ろを向いて逃げ出しちゃったのさ。彼を捜したけど、どこにも見あたらないんだぜ。」
「それで彼はどこにいたの?」キリル君が僕に聞いた。
「知らないよ」とぼくは言う。「きっとどこかに隠れていたんだろうね。デルジャービンに詩を気に入ってもらえただけで、彼はとても幸福だったんだ!」
「デルジャーヴィンは?」キリル君が聞いた。
「デルジャーヴィンはね」とぼくは言った。「彼の代わりに新しい偉大な詩人が現れて、それがもしかしたら、彼自身よりもっと偉大かもしれないって事がわかったんだ。」






 キリル君はしばらくの間、黙ってベンチに座っていた。それからだしぬけにぼくにたずねた。
「プーシキンを見たことある?」
「君だってプーシキンを見られるよ」と僕は言った。「この雑誌に、彼の肖像が載ってるよ。」
「ううん」とキリル君は言った。「僕が見たいのは生きているプーシキンだよ。」
「そりゃ無理だよ」とぼくは言った。「プーシキンはちょうど今から100年前に死んだもの。今ではプーシキンの残したものは、全部が大切なものなんだよ。彼のすべての原稿や、彼の書いた一番小さなメモの一枚一枚でさえ。彼が書き物をしたガチョウの羽根や、いつだったか彼が座ったベンチ、彼が仕事をした書き物机。こういうもの全部がレニングラードのプーシキン博物館に保存されているんだ。」
(ミハイロフスキー村には、今に至るまで、プーシキンの乳母アリーナ・ロジコヴァがいつだったか住んだ家が建っているよ。この家と自分の乳母について、プーシキンは詩を書いたのだ。これが君が今日そらで覚えたあの詩だね。)

 

ハルムス

19361218




追記

この文章は1987年にムルジルカ誌(Мурзилка)に発表されました。子供向けに、ロシアの代表的な詩人であるプーシキンを紹介したものです。
1937年に一度「チーシ(ひよどり)」という雑誌上で発表されていますが、その時は匿名記事で、検閲により校正されていた可能性があるそうです。

ちなみにキリル君というのは、ハルムスの妹の養子の名前だそうで、同じアパートに同居していたことがあるそうです。ハルムスの文章には、よくハルムスの周囲に暮らす人々の実名が登場します。
ハルムス自身はこの文章が気に入らず、推敲を重ねた上で「不出来」と評価しています。このプーシキンの紹介はいくつものバリエーションが書かれていて、書き損じや途中でやめたものなどが多々あります。わりと完成に近いものでは、こんなものもありました。


プーシキン

 今から120年前には、多くの人が、最良のロシア詩人は、デルジャーヴィン老人だと思っていました。そしてデルジャーヴィン自身も自分が最良のロシア詩人だと知っていました。
 さてある時、デルジャーヴィン老人がベンチに座っていると、彼の前に一人の少年が立って、よく響く声で自分の詩を朗読しはじめました。

最初の言葉からデルジャーヴィンはぴいんと緊張しました。少年はデルジャーヴィンから二歩のところに立っています。彼はすこし歌うような調子で、大きな声で力強く朗読しました。彼の声は響きわたっておりました。
 デルジャーヴィンは聞いていました。彼の眼は涙で一杯になっています。一言一言が、彼には素晴らしく思えたのです。

 そして、少年が自分の詩を朗読し終えて黙ったとき、デルジャーヴィンは、自分の目の前に立っているのは、自分よりももっと優れた詩人であると悟りました。
 それから何年もたった今、私たちは、デルジャーヴィンに自分の詩を読んで聞かせたこの少年こそが、私たちの最も優れた、もっとも愛すべき、最も偉大な詩人―プーシキンだということを知っています。
 プーシキンには二人の息子がいましたが、ある日プーシキンは自分の息子たちについて、こんな風に言いました。
「あの子達が詩人にならないといいんだけど。だってどうせ父親が書いたものより良い詩なんて書かないだろうし」。
 プーシキンが亡くなって以来、ぴったり100年の時が経ちましたが、プーシキンより優れた詩はいまだ誰も書き得ていません。
 私たちはプーシキンの詩を読み、それらをそらで覚えます。沢山のプーシキンの詩を覚えた人が、偉い人なのです!
 もし君がただのひとつもプーシキンの詩を知らないならば、今すぐどこかで手に入れて、何でもいいからプーシキンの詩を暗記なさい。
 そしてもし君がプーシキンを何と呼べばいいか知らないのならば、覚えておきましょう、彼はアレクサンドル・セルゲーヴィチといいます。
 プーシキンが小さかった頃、彼にはアリーナ・ラディオーノヴァという乳母がいたことも覚えておきましょう。
 小さなプーシキンが眠るときに、乳母は彼の小さな寝床の傍らに座って、彼にお話を聞かせてくれました。お話は面白かったり、怖かったり、楽しかったり、滑稽だったりしました。プーシキンは乳母の話に耳をすませ、もっと話してくれるように頼みました。けれど乳母は「もう遅いのですよ。寝る時間です」というのです。そこで小さなプーシキンは眠りに落ちました。
 プーシキンが大きくなると、彼のためにフランス人の先生が雇われました。フランス人はプーシキンとフランス語で話し、フランス語の読み書きを教えてくれました。プーシキンはフランス語の本をたくさん読み、沢山のフランス語の詩をそらで覚えて、自分でもフランス語の詩を書いてみたりするほどでした。
 そんなある日のこと、プーシキンのフランス語の詩のノートが、先生の手に渡りました。
 先生は声に出して詩を読みはじめると、大声で笑いました。
 すると突然小さなプーシキンは気の狂ったようになって、フランス人のほうへつめよると、彼の手からノートをもぎり取り、燃えている暖炉のなかへ放り投げ、泣きじゃくりながら駆けていってしまいました。
 プーシキンは自分の乳母が大好きでした。成長して高名な詩人になってから後でさえ、自分の領地であるミハイロフスキー村にいるときは、お婆さんになった乳母の住む小さな家にしばしば足を運び、一緒にベランダに座っては、お話をしてくれるように頼むのでした。



 プーシキンはいうまでもなく、ロシア文学の父であり、ロシアを代表する詩人です。ロシア人なら大抵は、詩の一篇くらいは暗誦できるのではないでしょうか。小学校低学年から、もうプーシキンの詩に触れて育つようです。
ハルムスの作品の中には、有名な作品や歌からの引用・オマージュ的なものがチラチラとありますが、プーシキンの作品は「ロシア人なら誰でも知っている」という意味で、非常に使いやすかったのではないでしょうか。
 ロシアでのプーシキンの地位は揺るぎないもので、チェーホフよりもドストエフスキーよりもその名は鳴り響いています。けれど、日本ではいまひとつ知られていません。ロシア文学に特別興味のない人に聞いてみれば、おそらく10人中7人くらいまでが知らない、または読んだことがないと言うのではないでしょうか。その理由はおそらく、プーシキンの詩の文体が高雅で格調が高すぎて、その美しいロシア語の魅力が日本語に翻訳しきれないところにあるのではないかと思います。私自身、プーシキンの詩を原文で読んでみる限り、これは翻訳が難しいなあと嘆息してしまいます。これは、プーシキンの豊かで美しく、深い言語世界を考えると、大変惜しいと思うのですが・・・。特に子供のうちから、プーシキンのような文学者の作品に触れて育つことの意義は計り知れません。
 そういう意味でも、上の紹介文のような文章を子供が読むことは、プーシキンに興味を持つ入り口になるという意味では、まあ、非常に、意義深いというか・・・。